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桂離宮松琴亭 [茶席]

桂離宮松琴亭(かつらりきゅう・しょうきんてい)

桂離宮は17世紀に八条宮家(桂宮家)の別荘として造営されたもので、書院、茶屋、回遊式庭園から成る。
創建、完成は1619年から1656年ころといわれる。
近世の皇族の別荘の実態を伝えるものとして貴重である。

いくつかの茶室がある桂離宮だが、最も格の高い茶室が松琴亭で人目を奪う。

外観は茅葺入母屋造。
主屋の東に杮葺の深い土間庇が付けられている。
主屋自体も深い土間庇を三方につけ、東西に一の間、二の間とつらなり、カマド、棚、長炉を設けている。
強い夏の日差しを避けるなどの考慮がされている。
南には水屋を配し、桟瓦葺きとなっていて、形状は複雑である。

桂離宮松琴亭1.JPG

間取りは、奥に点前座の三畳台目、、中柱を立てた台目構え。
中柱は、曲げを魅せるために加工。
袖の壁留めは、横木。
点前座の天井は、化粧屋根裏に突き上げ窓。

桂離宮松琴亭3.jpg


勝手付の上下窓が色紙窓ではない。
窓廻りも珍しい例がいくつかある。
遠州の影響が随所に見られる。

桂離宮松琴亭2.jpg


床柱は、スギだがチョウナ目。
相手は雑木。
框は、真塗。

勝手付きに一つ。
風炉先の二窓。
突き上げ窓。
織部(墨蹟窓)。
躙口に二つ(上下)。
北に一つ。
合計、八つの窓からなる。




※台目構(だいめかまえ) とは、台目切(だいめぎり)の炉のかどに、中柱(なかばしら)を立て、袖壁(そでかべ)をつけ、隅に釣棚(つりだな)をしつらえた、点前座の構成をいいます。
※長炉(ながろ)は、長方形で水屋などに使う。

所在地:京都市西京区桂清水町
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龍光院密庵席 [茶席]

龍光院密庵席(りょうこういん みったんせき)

黒田 長政が父の菩提を弔うのに【春屋宗園】を開基として1608年に創設した大徳寺の塔頭。

遠州好みの茶室。
当院に付随する形式(西北隅)に付けられている。
しかし、歴史上まったく個別の建物といわれている。
1638年ころに造られた
密庵席を、そのまま書院に入れたと考えられる。
つまり、新築時の17世紀中期のこと。

寄棟造り・杮葺き(こけらぶき)外観。

内観は、四畳半台目。
中柱は杉の丸太(手目→加工)
袖には、杉の中杢を取り入れている。

龍光院密庵席間取り.jpg


東南の付け書院は、長押も使われている。
床には、四枚障子(もとは、火灯口、給仕口、茶道口)。
杉の杢をいかした竿縁天井。

西の板縁の欄干(らんかん)を改良し踏み石で上る意図で施工されている。
※これは、書院との付随の際の理由で施工されたもの。

原型は、南に折れ飛び石が打たれ沓脱石(くつぬぐいし)
(※縁側や式台などの前に置き、履物を脱いでそこに置いたり、踏み台にしたりする石)

随所に書院ながら、草を彷彿させる茶室。
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高桐院 鳳来 [茶席]

高桐院鳳来(ほうらい)

1923年に再構築された客殿の中に鳳来がある。

八畳の書院茶室。
一間の床 室床 塗まわし壁(書院付き)北山杉しぼり床柱。
一崩しの天井。

高桐院鳳来2.JPG


鳳来1.jpg

北山杉しぼり.jpg


榑縁張りの広縁。

茶室の入り口は、腰高障子(腰障子)。

現在は、庭園と調和された美しい空間である。
更に癒しの間とも言える。

茶室内の高さなど本殿内とのからみから、若干おかしな点がある。

※榑縁張り(くれえんばり)
縁板を縁框(えんがまち)に対して平行に張った縁。
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高桐院松向軒 [茶席]

高桐院松向軒(こうとういん・しょうこうけん)

高桐院は臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭(たっちゅう)のひとつ。
開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)。

戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が叔父で父細川藤孝(幽斎)の弟にあたる玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)を開山として慶長7年(1602年)創建する。

玉甫紹琮の塔所(墓所)でもあり、細川家の菩提寺(ぼだいじ)でもある。
現在は、その時の建物は殆ど無い。

利休の邸宅(利休の聚楽屋敷の広間)移築とされる本堂北にある書院「意北軒」。
ここに付属しているのが、松向軒である。

松向軒は利休の茶を忠実に継承したといわれる忠興好みの茶室で、豊臣秀吉が催した北野大茶会の際につくった茶室を寛永5 年(1628 年)に移築したものといわれる。
松向軒の名の由来は忠興の法名である松向寺殿三斎宗立から来ている。

しかし、現存する茶室(松向軒)は、材料が新しく取り替えられ建設当時のものかは定かでなし。

杮葺の切妻(片流れ風)、妻側に庇、土間庇からなる主な外観。

高桐院松向軒1.jpg


間取りは、二畳台目。

高桐院松向軒3.jpg


床は下座で躙口を入って左に位置する。

床前が野根板天井、点前座が蒲天井、他は化粧屋根裏天井という使用。

高桐院松向軒2.jpg


※床の横に引き違い太鼓張り襖が有る。
しかし、当初は床柱に付け火塔の給仕口が開いていた。



所在地 :京都府京都市北区紫野大徳寺町73-1
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金地院八窓席 [茶席]

金地院八窓席(こんちいん・はっそうせき)

金地院は京都府京都市左京区にある臨済宗大本山南禅寺の塔頭の 1つ。

応永年間(15世紀初頭)に室町幕府4代将軍足利義持が大業徳基を開山として洛北・鷹ケ峯に創建。

江戸時代に徳川家康の信任が篤く、「黒衣の宰相」と呼ばれた以心崇伝(いしんすうでん)によって現在地に移転され、現在に至る。

※崇伝(すうでん、永禄12年(1569年) - 寛永10年1月20日(1633年2 月28日))は、安土桃山時代から江戸時代の臨済宗の僧、幕府の政治家である。


八窓席 は、崇伝が小堀遠州に数奇屋、鎖の間の図面と地縄張りを依頼。
寛永4年(1627年) の事とされる。

翌年に完成された。
しかし、この工事は改築であったと後に判明。
遠州は、改築の手伝いをしたことになる。

外観は杮葺の屋根、片流れ屋根。

間取りは、三畳台目(丸畳三畳+台目畳一畳)、床が台目畳と並んで配している。

床は西向き。
躙口を入って左が相伴席、右が貴人席。
その中央にちょうど畳のヘリが有る。

金地院八窓席2.jpg


窓の数、躙口の上に一つの連子窓。
北側に連子窓が二つ。
点前座の後ろに下地窓一つと墨蹟窓(ぼくせきまど)一つ。
床脇の袖壁に下地窓一つ。

合計6の窓。
では、何故、八窓といわれるかは、創建当時は名称通り8つの窓があったが,明治時代の修築で6つとなったといわれれているが定かではない。

金地院八窓席3.JPG


天井は、躙口を中心に左側が掛け込み天井、他は蒲天井及び棹縁(床指し)。

床の部分、躙口あたりが改築の主な箇所だという。

小堀遠州がどこまで詳細を頭に描き、改造したかはわからない。
でも、この茶室は、細かな細工がされている。


※塔頭(たっちゅう)は、本来、禅寺で、祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師の徳を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)、または、その敷地内に建てた小院である。
それから転じて、寺院の敷地内にある、高僧が隠退後に住した子院のことも塔頭と呼ぶようになった。



所在地:都府京都市左京区南禅寺福地町



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伏見稲荷大社御茶屋 [茶席]

伏見稲荷大社御茶屋(ふしみいなりたいしゃ・おちゃや)

伏見稲荷大社にある御茶屋は、当初(後水尾院・仙洞御所内)に有った。
それを、後水尾院より当社の祠官、羽倉延次が拝領し稲荷大社に再興したとされる。
江戸初期ころとされるが定かではない。

外観は一重入母屋桟瓦葺き・軒、妻の周辺は桧皮葺となっている。

伏見稲荷大社御茶屋1.jpeg




間取りは、一の間が七畳、次の間が八畳、そして、四畳の間、四畳の拭い板敷き広縁の構成。
※拭い板(ぬぐいいた)
表面を削って滑らかに仕上げた板。

一の間の床を出床にして、脇の畳に違い棚をつけている。
向かって右手が付け書院(窓の形は火灯窓)。

床脇の天井は、落ち天井になっている。
これらの構成から茶立ては、ここで成されたとされる。

床と棚や書院という造りから書院座敷といってもいい。
しかし、竿縁天井の竿が小丸太を使用したり、床柱が面付丸太をあえて取り入れている。
これが、書院座敷を緩和措置として茶座敷に近くしている。

更に床脇の壁は、三尺くらい吹きぬいて風炉先を考慮した造りと考える。

欄間にも注目してみると、吹き寄せ菱格子欄間が一の間と次の間に有り数奇屋風。

伏見稲荷大社御茶室2.jpg


この御茶屋は、茶座敷をメインにした書院造り。
茶室ではなく、書院から数奇屋。
時代の移り行く姿を物語っているのかもしれません。


※仙洞御所
京都市にある京都御苑内には京都御所の南東に仙洞御所が位置している。
1627年(寛永4 年)に後水尾上皇のために造営されたもので、正式名称は桜町殿という。
小堀遠州によって作事された庭園が広がっている。
仙洞御所の建築群は1854年(安政元年)の火災後再建されず、現在では庭園のみが残っている。

所在地:京都市伏見区深草薮の内町




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如庵 [茶席]

如庵(じょあん)

元和4年(1618年といわれている)に、織田信長の実弟である織田有楽によって、京都市の建仁寺の塔頭である正伝院が再興され隠居とした。その中に建造された茶室。

明治6 年(1873 年)、正伝院は永源院に合併されたが、その際に、祇園町の有志に払い下げられた。

明治41年(1908年)に東京の三井本邸に移築された。
著名な茶人の益田孝がよく用いた。

その後昭和13年(1938年)に、三井高棟によって神奈川県中郡大磯の別荘に移築された。
幾たびの移築を重ね、昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって愛知県犬山城下に移築され今に至る。


外観は、杮葺き切妻屋根だが一見、入母屋破風(いりもやはふ)にも見える二つの表情を持つ。

如庵正面.jpg


左端に袖壁と土間庇を設け、躙り口を配している。

袖壁と躙り口が向き合う形である。

土間庇の奥、引き違い障子を開けると供侍用の部屋がある。
置刀掛などが有る事から推察される。

間取りは、二畳半台目。
点前座に炉を切る向切。

如庵間取りお借りして.jpg


躙り口入って左側奥に四尺の出床。
炉先に中柱を使い板を嵌め火灯形にくり貫きが有る(相伴者の視線への配慮と点前座との区切りを兼ねる)

その右手やや奥に勝手からの入り口。
茶道口と給仕口とを共用。勝手口からは給仕の動線に沿って斜行する壁を立て足元には三角形の

板畳「鱗板(うろこいた)」を敷き。

これは、空間を広く魅せ、また流れの良い動線の二つを狙ったものとされる。
※有楽囲または、筋違い囲と称される有楽特有の技法。

勝手口から入ったところの台目畳が亭主座。
横に道庫。
床の間は亭主の右手後方に位置する。(出床にしたため距離的には離れない)

腰張に古暦が使われているので、暦張席(こよみばりのせき)暦亭(こよみてい)とも呼ばれている。

有楽窓、色紙窓、洞庫といった有楽の真髄が見物である。



茶室の窓

所在地:愛知県犬山市犬山御門先1

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奈良八窓庵 [茶席]

奈良八窓庵(ならはっそうあん)

大和三茶室の一つとされる。

奈良八窓庵1.jpg


興福寺の大乗院庭内にあった茶室(含翠亭、がんすいてい)であるが、寺が廃された為、1892年に奈良国立博物館内に移設された。
古田織部の作といわれている。
しかし、定かでは無し。

茅葺の入母屋、杮葺の豪快な庇(二つに割る袖壁付き)。
踏み石や、飛び石も大きなものを使っている。
外観は、このような構成。

奈良八窓庵3.jpg


内部は、躙口を入った所が貴人座、右手が相伴席、貴人座の左は台目床が配置されている。

奈良八窓庵4.jpg


中柱付きの点前座(台目切の炉)、袖壁(横木は削木)が付いている。

奈良八窓庵2.JPG


勝手口(茶道口)は色紙窓、正面は風炉先窓、袖には雲雀棚が吊られている。

勝手口に添えられた竹など、かなり凝っている。

間取り、意匠もさることながら、天井も床前から点前座まで蒲蓆天井。
中柱通りで化粧露出の天井となっている。

更には、下地窓に花入釘を打ったり(落としがけ同様)。

古田織部とされるならば、この茶人は発想がユニークかつ、まるで面白く楽しみながら創作して

いるかの様。
茶室においては、少し下品な言い方かもしれませんが・・・

勝手付(かってつき)点前をするときの居前より斜め方向の壁側を指します。

茶室の窓

所在地:奈良市登大路町50番地


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西芳寺湘南亭 [茶席]

西芳寺湘南亭(さいほうじしょうねんてい)

苔寺(こけでら)といわれ、西芳寺は聖徳太子の別荘であったものを、奈良時代の僧・行基が寺にしたもの。
世界遺産に登録されている歴史の重い寺である。

庭間建築として表情豊かな西芳寺。
その後、時代を経て荒れ果ててしまった庭内を宮司藤原親秀(ちかひで)の命で
庭の達人、夢窓疎石(夢窓国師)によって息を吹き返した。

しかし、応仁の乱で殆ど全ての建物は焼失し、西芳寺は荒れ果てたが、後に蓮如(れんにょ)が庭園の復興につとめたといわれている。

庭園は枯山水であったが、形を無くす。
それから、苔寺と言われるように、庭の木々に苔が纏わり付く様になって現在に至る。
自然が造り上げた庭といっても良いかもしれない。

その中に湘南亭も建てられていた。
前記の通り焼失してしまった湘南亭。
小庵が建ち直して、住まいとしたとされる。
寺内の配置、構造などは以前の位置とは異なっている。
確証は無いが、小庵の癖を知るものなどから、このように語り継がれている。

現在の配置は庭園南西部に位置し、間取りは、西から東へ待合。
廊下の間(長四畳)、次の間(六畳)と続き、北側に垂直に曲がる。
そこに、四畳台目の茶室が現れる。
そして、広庇、三方吹き放ちの舞台造。

西芳寺湘南亭3.JPG


西芳寺湘南亭1.jpg


屋根の構成は、杮葺。
入母屋、切妻、寄棟をバランス良く組み合わせている。

西芳寺湘南亭2.jpg


茶室のスタイルは、長四畳の台目に点前座。
炉と中柱の台目切り。

西芳寺湘南亭4.jpg


床の形式は、うしろ床(亭主床)
客座の中央に火燈窓の付書院で明かりを取り入れている。

上り口は、躙口の形式ではなく貴人口の形式で、障子二枚の引き違いとなっている。
庇も入り組んで施された建物。

仮に小庵と過程して、大変機能性に富んでいて、純粋に茶室でもなければ庭間建築でもなくフレキシブルな構成である。




所在地:所在地 京都府京都市西京区松尾神ヶ谷町56
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高台寺傘亭 [茶席]

高台寺傘亭・・・安閑窟(こうだいじからかさてい・・・あんかんくつ)
時雨亭(しぐれてい)


高台寺は、秀吉夫人北政所(ねね)が秀吉の死後の幸福を祈って建てた寺といわれる。
建てる際、秀吉、北政所の住んでいた宮殿を移築したとされる。
これは、伏見城から遺構だといわれるが利休絡みの説も有るので定かでは無い。

創建時以降、度重なる火災ばどにより、霊屋(おたまや)、開山堂、表門、観月台、両亭しか残っていない。


高台寺東側、奥の一番高い位置に、傘亭と時雨亭が有り方角的には北と南に配置されている。
また、両亭は土間廊下でつながれて建てられている。

外観は、傘亭は茅葺、単層宝形造。
時雨亭は重層入母屋造。

名の由来は、(傘と雨)傘亭が初めで時雨亭は、後に付けられ対義語である。
傘亭は、その名の
ごとく傘形の大きな弧を描いた屋根と、竹の垂木、小舞の化粧屋根裏が特徴的。

高台寺 傘亭1.jpeg


高台寺 傘亭2.jpeg


内観は、一畳の上段と手前の土間、更にはL形に六畳敷きの構成。
上段の対面に、くど(かまど)もつ下屋が有る。


高台寺 傘亭3.jpeg


吹き放しの廊下は瓦や切石、自然石などで飛び石からなり時雨亭とを結ぶ。

時雨亭は、開放感溢れる使様で突き上げ戸が目に映る。
見晴らしの良さ、また機能的な造りである。

高台寺 時雨亭1.JPG


西側の半分は上段、東側は下段、その隅に床が有り、円形窓がついている。

高台寺 時雨亭2.jpg


床に隣接して、くど(かまど)が配置。
板の間と栗、クヌギ、赤松などの丸太を使い組み上げられている。

この一対ともいえる茶室は興味深い点が多い。



所在地:京都市東山区河原八坂
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