2010-06-16 [茶席]
仁和寺 遼廓亭(にんなじ りょうかくてい)
仁和寺は光孝天皇の命令で仁和2 年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。
遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室(仁和寺)御所」の別称がある。
この庭に二つの茶室がある。
その一つ、西に遼廓亭(移築された茶室)。
これは、江戸末期に、仁和寺門前の尾形光琳邸から移したと言われている。
光琳が造った茶室である。
如庵のコピーとまで言われるが、茶室の勝手口が塗回しの火灯口。
全体的に貧弱な点では、作者の好みが反映されている。
外観
杮葺屋根。
内部は、二畳半台目。
躙口を左見ると床。
その脇に地板を三角に切り点前を広くしている。
【有楽囲い】と言われる。
他にも風炉先の火灯口を開けた板壁も特徴的である。
所在地:京都府京都市右京区御室大内
仁和寺は光孝天皇の命令で仁和2 年(886年)に建て始められたが、同天皇は寺の完成を見ずに翌年崩御した。
遺志を引き継いだ宇多天皇によって、仁和4年(888年)に落成し、「西山御願寺」と称されたが、やがて年号をとって仁和寺と号した。
宇多天皇は出家後、仁和寺伽藍の西南に「御室」(おむろ)と呼ばれる僧坊を建てて住んだため、当寺には「御室(仁和寺)御所」の別称がある。
この庭に二つの茶室がある。
その一つ、西に遼廓亭(移築された茶室)。
これは、江戸末期に、仁和寺門前の尾形光琳邸から移したと言われている。
光琳が造った茶室である。
如庵のコピーとまで言われるが、茶室の勝手口が塗回しの火灯口。
全体的に貧弱な点では、作者の好みが反映されている。
外観
杮葺屋根。
内部は、二畳半台目。
躙口を左見ると床。
その脇に地板を三角に切り点前を広くしている。
【有楽囲い】と言われる。
他にも風炉先の火灯口を開けた板壁も特徴的である。
所在地:京都府京都市右京区御室大内
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